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サンタさんはきっといる


世間はすっかりクリスマス一色ですね。

 

といって,私は引きこもりがちな人間であまり外の風に当たらないので実感はなかったりしますが,時期的にはそう言ってしまって間違いないのでしょう。

 

 

 

 


さて,クリスマスのビッグイベントといえば,赤プリでディナー…ではなく,クリスマスプレゼント。

 

皆さまの中には,子どものころサンタさんからプレゼントをもらった方がいらっしゃると思いますし,また,サンタさんから委託を受け,24日の夜あたりに業務を代行される予定の方もいらっしゃることと思います。

 

サンタさんいる・いない問題は,現在も未解決の難問と理解しており,私見を述べるのは憚られるところですが,個人的には,サンタさんはいると言ってよいのでないかと思っています。

 

グリーンランドで公認を受けて,というお話しをしたいのではなく,おそらく少数とは言えない数のご家庭のお父さん,お母さんが,子どもの夢を守るためサンタさんからの委託業務をこなしていること,そのこと自体が,逆説的にサンタさんの存在を裏付けているのでないか,などと思うのです。

 

 

 

 


…などとよく分からないことを考えるのも,クリスマスの雰囲気のなせる業でしょうか。

 

年齢を重ねても,根拠のないお祭りムードにも抗わない自分でいたいものです。

 

 

師走しんどい

更新日2016.12.15
 


天皇の退位についての一考察


  今年8月の天皇の「おことば」以来、世の中では、天皇の退位を認めるべきか否かについての議論が盛んであるらしい。考え方としては、皇室典範を改正して退位を認める、特例法を制定して退位を認める、退位には反対、の3とおりに分かれるようであり、政府は、いずれが妥当であるかの判断の参考とすべく、16人の「専門家」から意見を聴取したとのことである。

 

 

  報道によれば、一般国民では、高齢の天皇のお気持ちを尊重して退位を認めるべきであるとの意見が圧倒的多数派のようであるが、意見聴取された「専門家」らでは、そもそも退位を認めるべきではないという説がほぼ半数を占めるらしい。一部の保守系論者にあっては、退位を認めることは国のあり方を根本的に変えることになる、とまでの言い様である。

 

 

 

 


  さて、この問題について私はどうなのかというと、

 

 

  「どっちでもいいんじゃないの。なんでそう大騒ぎしてるの?」
である。なぜならば、
「個人としての誰が天皇であるか、誰が天皇になるかは、重要な問題ではない」
からである。
 

 

 

 

 

  というのは、天皇が天皇の地位に就くのは、その個人的な能力や資質を理由として選ばれたからではなく、単に、憲法及び皇室典範の規定に従えば皇位継承順位が最先順位だったからである(決して、現天皇の個人的な能力や資質が劣るなどと言っているわけではないので、念のため)。

 

 

  このように言うと、一部方面からは不謹慎と叱られてしまいそうだが、法的にはそうなのである。憲法及び皇室典範が定める天皇の「資格要件」としては、「皇統に属する男系の男子」であることに尽き(皇室典範1条)、それ以外の「資格要件」はまったくない。

 

 

 

 


  また、天皇制の安定的な維持のためには、むしろそう考えるべきなのである。もし天皇の地位に就くためには個人的な能力や資質に関する事項が要件となるとしたならば、必ずや、国民、マスコミ、「有識者」等の間で、複数の皇位継承資格者のうち誰が個人的な能力や資質の点で最も天皇としてふさわしいのかについての議論が巻き起こり、最先順位者よりも他の皇位継承資格者の方が天皇にふさわしいと主張して最先順位者の皇位継承に反対する者が出てくるなど、無用の混乱を招くことになるからである。皇族や貴族や武士がそれぞれ自己の推す候補者を担いで相争い、社会を混乱に陥れた例は歴史上枚挙にいとまがない。また、個人的な能力や資質に関してあれこれと論じられては、皇位継承資格者たちにとっても迷惑至極であろう。

 

 

 

 


  さらに、「天皇は国政に関する権能を有しない」(憲法4条1項)のだから、在位中も、特別の個人的な能力や資質が求められているわけではない。なお、退位反対論者の中には、天皇が自らの意向で退位することを認めることは、天皇が国政に関して権能を行使したことになり憲法4条1項に違反する恐れがあるとの理由を挙げる者もいるが、妥当でない。もともと「天皇は国政に関する権能を有しない」のだから、そのような天皇の地位が次の継承者に継承されたからといって、つまり誰が天皇になろうと、国政は何の影響も受けないからである。

 

 

 

 


  このように、天皇の地位に就くためには、理論的にも実際的にも、個人的な能力や資質に関する事項が要件とされているわけではないし、要件とされるべきでもない。天皇が個人的な能力や資質を理由として選ばれてその地位に就くものではない以上、天皇が他の人に交代するかどうかは重要な問題ではないであろう。

 

 

BOBCAT

更新日2016.12.15


 

1 はじめに
 

 

 

 

  昨今,インターネットなどの発達によって,法的問題についてあらかじめキーワードなどを検索し,法的な知識を得て,おおよその結論を考えている方も多いかと思います。実際に,私が相談をお受けする際も,インターネットで調べて来ましたという方がいらっしゃいます。
 

 

 

  もっとも,簡単な問題であれば,インターネット上にある知識により回答が得られることもありますが,現実のところはそうではないことが多いのです。また,調べた知識をうまく生かせていないこともあります。どうしてこのようなことが起こるのでしょうか。
 

 

 

  その理由は,知識が体系的に整理されているかどうかということもあるでしょうが,最も大きなものは,法的なものの考え方が身についているかどうかというところにあると思われます。
 

 

 

  法的なものの考え方とはどのようなものでしょうか。以下に見ていきます。
 

 

 

 

 

 

2 法的三段論法
 

 

 

 

  法律の条文を見てみると,そこに記載されているのは,何かをしたら,このような法律上の効果が発生しますというものです。わかりやすい例でいえば,人を殺した場合には(何かをしたら),死刑または無期もしくは5年以上の懲役に処する(発生する法律上の効果)とされております。
 

 

 

  この条文だけ見ると,特に問題はなさそうですが,人の範囲はどこまでなのか(生まれる前の人は人であるのか,人の死はいつをもって死と考えるのか),殺すという行為はどの程度のものまで含まれるのか(死にそうになっている人を見過ごしてしまい,その人が死んだ場合はどうか),殺したといえるのはどのような場合か(瀕死の重傷を負わせるだけの行為をしたが,別の原因で死んだ場合はどう考えるのか)などということや,現実に起きた事実関係から人を殺す行為と人の死という結果をどのように抽出するのか(殺すという意思をどのようにして認めるのかなど)を考え始めると,どのように整理して考えれば良いかわからなくなってしまうのです。
 

 

 

  この場合に頭を整理するには,論理学の三段論法という推論の形式を利用すると便宜です。
 

 

 

  すなわち,すべての人間は死すべきものである(大前提),ソクラテスは人間である(小前提),故にソクラテスは死すべきものである(結論)という推論形式を上記法律論に拝借し,大前提として法律上の条文(前の例でいえば,人を殺した場合には,死刑または・・・の懲役に処するというもの),小前提として現実に起きた事実の把握(例えば,AがBの体の枢要部をナイフで刺した,その結果Bが死んだ),結論として,Aは死刑または・・・の懲役に処せられると考えるのです。
 

 

 

  純粋な論理学上の三段論法であれば,大前提に小前提を当てはめるだけで,論理必然的に帰結が導き出されますが,法的三段論法の場合には,上記の例でも明らかなように,法律上の条文自体が一義的ではなく,大前提そのものを検討する必要があること,小前提としての事実についても,実際に起こった出来事は過去の出来事である以上,事実を正確に確定することができないために,証拠から事実を推論していくしかなく,それぞれの前提の確定そのものに価値判断や評価を加えざるを得ない点があり,論理必然的な結論を出すことはできません。

 

 

 

  もっとも,文言上の意味やこれまでの過去の事例の分析などによって蓄積された法律の条文の意味を理解することと実際において発生した事実をいかにとらえていくかという作業に分けて考えるという思考方法をとることにより,結論を導くことが可能となるのです。
 

 

 

 

 

 

3 事実と評価
 

 

 

 

  法的三段論法の有用性については,上記のとおりですが,結論を考えるにあたり,もう一つ重要なことは,上記の事実をきちんととらえているかということです。

 

 

 

  すなわち,具体的に人を殺したという例で考えると,要件として人を殺す意思(故意)が必要であるところ,「AはBを恨んでいました」というAのことを知る人の証言は,故意を推認させるような事実といえるかということです。

 

 

 

  恨んでいたという言葉のとおり,この証言はAのことを知る人がAの様子を見て下した評価であって,事実ではありません。恨んでいたという評価を下すには,AがBから執拗に暴言を吐かれていた,AがBに金銭を貸与し,返済を督促したにもかかわらずBは全く返済しようとせず,Aの生活費が底をついたなどという具体的な事実を確定させて始めてできることです。

 

 

 

  評価と事実を峻別しなければ,評価が個人の主観によって左右されやすく,それにより判断することによる誤りが発生しやすくなってしまうのです。

 

 

 

  Aの故意を認めるためには,AがBのことを恨んでいたという評価ではなく,上記の事実を一つ一つ証拠から確定させていくことが重要なのです。
 

 

 

 

 

 

4 まとめ
 

 

 

 

  以上により,法律の条文の把握とこれに対応する具体的な事実の抽出という作業が法的なものの考え方の核心部分であることがご理解いただけたかと思います。今後,法的問題について考える際には,条文を確認し,起きている事実関係を丁寧に確認するということを念頭においてご検討ください。

 

 

 

  また,我々弁護士は,上記のような思考方法をもとに,物事を考えております。このような思考を参考にしていただければ幸いです。

 

 

(弁護士 58期 松 村 寧 雄)

更新日2016.12.15


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